2021-03-02
イベント
皆さんは、「死」について考えたことはありますか。死は、いつ誰に訪れるか分かりませんし、いつかは万人に対して訪れるものではありますが、若くて健康であればあるほど普段意識することがない、日常から遠ざけられた存在です。
私自身、常に健康で病気とは無縁であり、風邪などの体調不良ですらほとんどないですし、幸せなことに家族や周りの友人・知人が亡くなるという経験をほぼしていないので、日常生活の中で「死」に対して意識することはありません。
病気や死を扱うドラマや映画も数々観てきましたが、「どこかの赤の他人に起こっていること」としか捉えられず、他人事のような感想しか出てきませんでした。
そんな私が、絆家シェアハウス公式イベントとして開催された死を疑似体験するイベント「体験的に死ぬ」に、ファミリーのみんなと参加してみました。
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この記事はハウスファミリーであり絆家公式ライターの「こにたん」が、実際に公式イベントに参加した際の当日の様子を言葉にしてくれたイベントレポートです。どうぞご覧ください。
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Contents
「体験的に死ぬ」とは、任意団体inclueが主催するイベントで、あるストーリーの主人公となって自らの死を体験することで、死への向き合い方や、本当に大切なものを探求するオンラインワークショップです。
このイベントを絆家オンラインスクールで開催するに至ったきっかけは、絆家代表のまーしーによる「ある想い」からだったそうです。
まーしーが個人的に気になって参加したオンラインスクール「体験的に死ぬ」
実際に参加してみて、数々のオンラインイベントの中でも数少ない内省ができるイベントであり、「人生の大切なことを振り返るきっかけになった」とのこと。
このイベントのワークに取り組むことによって、大切な価値観やものを再確認することができたことから、絆家シェアハウスのみんなにも体験して欲しい。そう感じたところからオンラインスクールでの開催が決定しました。
『一人一人が「体験的に死ぬ」に参加することで、改めて自分のことを知るきっかけになってほしい、そして「体験的に死ぬ」で得た感想や気づきをシェアハウスのファミリーとシェアすることで、周りの人が大切にしている価値観や今頑張っていることを知るきっかけになってほしい、このイベントで感じるものは一人一人違うと思うが、この機会を通していい繋がりができれば嬉しい。』
そんな想いによって、絆家シェアハウス内で「体験的に死ぬ」を開催することになったというわけです。
そしていよいよ当日。土曜日の夜の時間、このイベントに興味を持った全国各地に住む約30人のファミリーが参加しました。
事前に用意するものは紙やペン、一人で静かに考えたり物が書ける環境だけ。
「体験的に死ぬ」とはどんなものなのだろうか。ちょっとした不安や恐怖を感じながらもドキドキとしながらイベントの開始時間を待ちました。
イベントに集まったファミリーは絆家シェアハウスに暮らすメンバーたち。
実際に会ったり話したりしたことのある方はほとんどいませんでしたが、同じコミュニティ内の人たち同士だけの開催なので、目に見えない安心感がありました。
最初の自己紹介ではどんな人たちがどんな想いでこのイベントに参加したのかについて知ることができます。
私のように普段死について考える機会がなかった人、書籍で同じようなワークをやってみようと思ったものの自分一人ではやり切ることができなかった人、直近で大切な人を失う経験をした人など、様々な考えや経験を持ったファミリーが集まっていることが分かりました。
最初のワークでは、事前に用意した小さな紙にひたすら自分の大切なものを書き出していきます。
物、場所、人、価値観や考え方などさまざまな観点で、時に悩み考えながらも自分の大切なもの20個を書き出し、目の前に並べました。
そして、実際に「体験的に死ぬ」に取り組む前には、少しでも集中した状態で行えるように簡単なワークを行います。
そしていよいよ「体験的に死ぬ」の始まりです。
参加者一人一人があるストーリーの主人公となって自らの死を体験します。
普段はいつものように仕事をして、いつものようにいろんな人と遊び、いろんなことを学びながら過ごし、と当たり前な毎日が繰り返されます。
そんなある日、朝起きた途端少し異変が起きます。
お腹が痛い、体が何となくだるい、疲れが取れない。
ストーリーが進むにつれて少しずつ死に近づいていき、死が近づくにつれて目の前にある大切なものを少しずつ失っていきます。
体験的に死んだ後は現実の世界に戻り、実際に死んでみる体験を通してどのような感想や気づきがあったのかを参加者同士でシェアします。
ここでは実際に体験した一人として、私の感想や気づきをシェアします。
まず、今まで死を意識する機会が全くなく、死を扱った作品を観ても他人事としか捉えられなかった私ですが、このイベントでは「どこかの誰かが死ぬ」のではなく、「私自身が死ぬ」ストーリーなので、死を自分事としてリアルにとらえる不思議な感覚になりました。
腹痛、だるさ、疲労感。最初の異変は日常で誰にでも起こり得るごくありふれた症状です。
序盤ではまだ生き続けられる希望を感じられるものの、だんだんと生きる希望を失い、死を受け入れなければいけない状況になっていきます。
ストーリーが進む中で大切なものを少しずつ失っていくのですが、死が近づいてくると健康な時はあんなに大切にしていたものや価値観が一気にどうでもよくなった、いやどうでもいいと思わざるを得なくなりました。
死が近づくにつれて体や心がむしばまれると今まで大切にしていたものや大好きな仕事に執着する余裕も奪われ、最終的には大切な人と関わりたいという気力さえ失いました。
普段はなるべく周りの人のことを考えながら生きていますが、死が近づけば一気に視野が狭まり自分のことしか考えられなくなります。
日々学ぶことや働くこと、考えること、話すことや食べること、毎日当たり前に出来ていることも何かをきっかけに急に当たり前に出来ないようになると思うととても恐ろしかったです。
「普段は持っていないものばかりに目が行きがちだけど、今持っているものを持てているだけでも十分幸せだし、今持っている大切なものをいつまでも守れるように、とにかく自分の体を大切にしたい」
いつかはこのストーリーの主人公のように、急に自分の目の前に死が近づきやがて死ぬことになるかもしれませんが、日ごろから自分の体のことを想い行動することで、少しでも死が訪れる日を遠ざけたい、まだまだ「今やりたいことを当たり前に出来る日々を繰り返し続けていたい」と強く感じました。
他の参加したファミリーからも、何気なく過ぎていく日常生活の愛おしさ、周りの人たちが本当に大切な存在であること、人生に必要なものはそんなに多くないことなどに改めて気づかされたという声がありました。
死を体験する中で涙を流すファミリーもいました。
ワークから感じたことや気づきは人それぞれ違いましたが、ファミリーにとってそれぞれ自分の大切なものについて考える時間になりました。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」という言葉がありますが、実際に死んだり死に近づくような経験をせずとも、死を体験しそこからいろんな気づきを得られる機会がここにあります。
ただ一緒のシェアハウスに住んでいるだけでも自分の考えが決して当たり前ではなく、人によって考え方や感じ方が違うことに日々気づかされるのですが、一緒に「死」を体験することで、普段話し合うことのない「死」という深いテーマをもとに考えや気づきを共有し、いろんなファミリーと心から繋がることができたと感じられる夜になりました。